「一の酉」(武田麟太郎)

市井の人間のたくましさ

「一の酉」(武田麟太郎)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
 新潮文庫

おしげは店の主人と
間違いを犯してしまうが、
いつしか愛しいと
思い始めていた。
誰も知らないと
思っていたのだが、
主人の妹・おきよが
それを知っていた。
義姉を快く思わないおきよは、
兄との仲を取り持つと
おしげにもちかける…。

小説「暴力」で
プロレタリア文学の作家として出発、
その弾圧から
のちには市井の庶民の生態を描いた
作家・武田麟太郎。
本作品は武田の
「市井事もの」と呼ばれる
作品群の一つです。
ここで味わうべきは、
おしげがその不幸な境遇の中から
一筋の光明を見いだしていく
そのたくましさでしょう。

おしげは周囲の人間の「打算」によって
身の処し方を決めなければ
ならなかったのです。
その「打算」を働かせる人間は三人です。
①彼女の義父・新吉
この男は何度もおしげに
給金の前借りをさせる
甲斐性なしであり、
おしげに「福ずし」の旦那の
妾になるよう要求します。
書かれてはいないのですが、
おそらくは金のためでしょう。
②おしげの店の主人
「福ずし」に対して
遺恨を持っていた彼は、
「福ずし」におしげを渡すのも
癪だと考え、
彼女に関係を迫るのです。
③主人の妹・おきよ
義姉を目の敵にしている彼女は、
おしげをけしかけ、
義姉を追い出そうと
画策しているのです。

それ故におしげは主人に身を任せ、
愛情が芽生えつつも
冷まされてしまうのです。

なんとも哀しい女の生き方ですが、
本作品が発表されたのは昭和十年、
当時の「市井の」女たちは、
少なからず
このような境遇だったのでしょう。
しかし作者は、
そのような悲哀を描きながらも、
読み手の同情を誘おうとは
考えてはいないのでしょう。
救いとなるのが
標題ともなっている「一の酉」です。

「一の酉」とは、
十一月の酉の日に立つ「酉の市」の
一回目のことです。
その「酉の市」とは、
浅草鷲神社や下目黒の大鳥神社など、
日本武尊ゆかりの神社を中心に
行われる祭りであり、
かつては武運を願うものであったのが、
この頃までには広く「開運」の神として
定着していたようです。

最後の場面で、
おしげは若い秀一を誘って
一の酉へ出かけます。
義父に従って
「福ずし」の妾になるのではなく、
おきよや主人の意に従って
不倫に陥るのでもなく、
自らの意志で
自分が添い遂げるべき相手を
見つけようとしているのです。
このたくましさこそが
「市井の」人たち特有のものであり、
過酷な状況の中でも生きようとする
人間の力なのです。

昭和十年といえば、
欧州に立ち起きた「きな臭い匂い」が
日本まで流れ込みはじめた時期であり、
世界が混沌としていた時代です。
今のコロナ渦にある世界と重なります。
私たちもこうした
市井の人間のたくましさを持って
現代を生き抜くべきなのでしょう。

(2021.2.7)

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